親と共に生きる、ということ

前回、両親の街へのお引越しのことをブログに書いた。引越したあとの暮らし1年目に感じたことを今日は書こうと思う。

引越し後、父はすぐに近隣の人と仲良くなり、公園を散歩したときに知り合いになったり、マンションの管理人さんと話したり、と順応性の高さを発揮した。

母は元々、環境の変化をあまり好まない人だったはずだが、何故か、この都会暮らし、といってもケアセンターが替わることが1番彼女にとっての大きな変化だが、これまたすぐに順応したのだった。こっちのケアセンターはちょっとおしゃれなお年寄りがいる、とか、少しツンとしてる人もいる、など、いろいろ話してくれた。センターの職員の方はとても親切な人ばかりのようで安心した。

始めの頃は私が仕事から遅くに帰る時は必ず夜食を作って待ってくれたり、掃除機をかけたり、トイレ掃除をしたりと2人ともよく動いていた。すごいな、80の両親は強くて、我慢強くて、すごい努力家だと親の底力を感じ、あの年齢でありながら私の両親はナイスだと思った。

特に、車椅子の母の動きは見事なものだった。片手で卵焼きを焼く、お弁当を詰める、サンドイッチを休日の朝は作る、など、本当に自分たちというよりは、娘の私の好物を食べさせたい、という思いから溢れ出る行動が表れていた。

そんな時、私は、母の中では私はいつまで経っても子どもなんだ、子どもの頃を思い出すような、そんな日常がまた復活だと思った。

父と母の思いが溢れる行動に接した時、思い出すのはやはり子ども頃。まだ保育園や小学校あたりの自分を思い出す。両親の愛情をたくさんもらってるその親から子への愛情と行動を思う時、これらを今から返していくんだ、必ず親を安心させてあげるんだ、と思う。親の無償の愛情ほど深いものはない。

だから、少しずつ少しずつ、無邪気な子どものようにかわいい言動が増えていく両親を見ていると「やはり、自分が受けてきた分、絶対に両親を幸せにする」と決めている。感謝の気持ちは必ず通じる。

引越して1年目はこうやって環境の変化を楽しむ親、少しずつ少しずつ出来ないことも見えてきた年であった。これから、10年、いや20年一緒にいたい、と願う。健康で、気楽に好きなことをして生きていてほしい。必ず親孝行をするから。

そのために引越してきたのだから。

車も乗らない気楽な暮らし。歳を取ったら絶対その方がいい。

さあ、あとは、親ではなく私自身の経済革命だなあ。

少しずつ我が家の経済状況を変えるべく取り組んでいることもブログにしていこうと思う。時間はかかるとは思うが、なんせ私は、私の無茶なマンション購入はぶっ飛んでいると周りから言われるくらいだから。

地味に、でもコツコツ、でも、スピードも必要、、とにかくがんばろう。やるしかない。

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