80歳。この年齢が一つの目安だと思う。
父はこれまでずっと年齢を感じさせないスラリとした姿勢、172センチくらいで、いつもチェックのシャツを着てきちんとしている人だった。年齢より15くらいは若く見られる、とよく言っていた。母が病気で倒れてからも、そのスタイルを崩さず、気丈に頑張っていたと思う。
母が倒れるまで、家事は全て母がやり、父はアイロンのかかったシャツをパリッときて、悠々と過ごしていた。しかし、母が倒れたことにより生活は一変。全てを父が取り仕切ることに。料理、掃除、母の看護。よくやっていたと思う。まだ60代。あれから20年近くになろうとしている。
車を乗りこなし、毎日母のリハビリに通い、家事をして。本当に父はがんばった。やがて、70代後半に。少しずつ体力が下がる。少しずついろんな事が面倒に思える。車の運転をすることへの不安。など生活を変えていかなければならない分岐点の時期がきていた。
その後は前に書いたように今住んでいる街への引っ越しに繋がっていく。
同じ空間で親と過ごす日々。それは、子どもの頃には感じなかった日常のあれこれについて互いの考え方の違いがあり、譲れるところと譲れないところを判断することが多くある日々だ。
歳を重ねると、家事についてのやり方を変えられない、ということもあるが、年齢からくるのか、逆に子どもに戻ったような、駄々っ子のように思える瞬間もある。以前の両親には絶対になかったことだ。人間は歳を重ねていくごとに生まれた時のように無邪気に素直な自分に返っていくのだろうか。
一生懸命やってくれる。いろんなことを。家事も。孫への関わりも。だが、親と住む、ということは、親の生活スタイルに合わせる、ということでもある。それができる、というよりはやるべきだ、と私は判断した。それくらい親への感謝は尽きなかったし、私に出来ることで親孝行というのはこれしかないと思った。
特に母にとって、私はいつまでたっても小さな娘のまま。多分生涯、そのスタンスで私に関わり続けると思う。
鯵のフライ、ポテトサラダ、シチュー、母が左手だけで調理するお料理はどれも美味しい。子どもの頃の味だ。それらを一生懸命作ってくれる母。私が仕事から戻る時間に合わせて。その動きは昔のままだ。ありがとう、ありがとうお母さん、といつも声に出して言うようにしている。50を過ぎて未だにこんなことを書くと、親離れできないいい歳した人間、のように思われるかもしれない。が、これは真っ正直な今の気持ちなのだから仕方ない。
そんな家庭的な母とかっこいい父。彼らと過ごすこれからの日々を私は大切に胸に刻んでいきたい。
親と共に生きる。親の今、そしてこれからの日々を幸せにしたい。